関取昇進、そして幕内入りが目前に迫っていた1996年(平成8年)、順風満帆だった若武者を突然の悲劇が襲います。将来を嘱望されながら、初土俵からわずか1年後の1996年9月場所をもって、白川は20歳に満たない若さで電撃的に引退届を提出しました。
早期引退に至った決定的な理由は、稽古中に負った左股関節の重篤な怪我でした。土俵上での激しい攻防の最中、関節に極めて大きな負荷がかかり、脱臼および周辺組織に致命的な損傷を負ったとされています。当時の特番インタビューや自著、手記などで後に語られた本人の告白によると、負傷直後は激痛によって自力で立ち上がることすらできない状態に陥りました。
搬送された病院で下された診断は、極めて残酷なものでした。担当医師からは「これ以上相撲を続ければ、選手生命どころか将来的に自力歩行すら困難になる」という事実上のドクターストップを宣告されたのです。関取の地位を掴み取り、親孝行を果たしたいと願っていた白川にとって、夢を断ち切られる痛恨の通告でした。
力士が相撲を辞める際、不祥事や人間関係の摩擦が噂されるケースは少なくありませんが、白川裕二郎に関しては純粋な「不可抗力の肉体的限界」が引退理由です。当時の師匠である朝日山親方もその才能を誰よりも惜しみながら、弟子の将来と生涯の健康を守るために引退を受け入れたという経緯が残されています。