ネット上で「最も危険な薬物は酒」というセンセーショナルな見出しとともに語られるランキングの震源地は、2010年に英国の権威ある医学雑誌『ランセット(The Lancet)』に掲載された研究論文(David Nutt et al., 2010)です。この研究を主導したのは、元英国政府の薬物諮問委員会委員長を務めた神経精神薬理学者、デヴィッド・ナット教授を中心とする専門家チームでした。
従来の薬物議論は、法的に禁止されているか否かという「刑罰の枠組み」や、道徳的な善悪感情に終始しがちでした。これに対しナット教授らは、客観的な科学データに基づいて薬物の有害性を再定義するため、意思決定分析(MCDA:Multi-Criteria Decision Analysis)と呼ばれる高度な評価手法を導入したのです。
この薬物危険度ランキングの基準は、単に「毒を飲んで何分で死ぬか」といった急性毒性だけで測られているわけではありません。危害の対象を大きく2つのカテゴリ、計16の評価項目に細分化して数値化しています。
第1のカテゴリは「使用者本人に対する危害(Harm to users)」です。ここには、過量摂取による急性致死リスク、臓器障害などの慢性的な身体損傷、薬物探索行動に直結する依存の強さ、精神機能障害、および使用に伴う経済的困窮や自己喪失など9項目が含まれます。
第2のカテゴリが「他者および社会に対する危害(Harm to others)」です。薬物の影響下で引き起こされる暴力・傷害事件、飲酒・薬物運転による交通事故、家庭崩壊(DVや育児放棄)、犯罪組織の資金源化、環境負荷、そして警察・医療・福祉などの公的支出にかかる経済的損失など7項目で構成されています。
ナット教授らの評価において、100点満点の総合スコアでアルコールが総合72点を獲得してトップに立ちました。次いでヘロイン(55点)、クラック・コカイン(54点)、メタンフェタミン(覚醒剤、33点)、タバコ(26点)、大麻(20点)と続きます。この結果だけを切り取ると「酒は覚醒剤の2倍以上危険」と見えてしまいますが、内訳を精査するとまったく異なる実態が浮かび上がります。
アルコールのスコアを押し上げた最大の要因は、他者への危害ポイント(46点)が全物質中で突出して高かった点にあります。個人への直接的被害(26点)だけで比較した場合、ヘロイン(34点)やクラック・コカイン(37点)のほうがはるかに高い数値を記録しているのです。法的に認可され、コンビニで24時間誰もが手に入れられる圧倒的な流通量があるからこそ、社会全体に及ぼす総被害が巨大化するという構造的トラップを理解しなければなりません。