三乱を経て日本社会は古代から中世へと完全に脱皮しました。保元の乱以前、武士は貴族に雇われて警護や反乱鎮圧を行う「番犬」に過ぎませんでしたが、平治の乱を経て政治の意思決定者となり、承久の乱によって公家政権の上位に立つ絶対的な支配階級となりました。
承久の乱の勝利によって、幕府は西国にあった上皇方の所領約3,000カ所を没収し、東国の御家人たちを「新補地頭」として西日本へ大量に送り込みました。これにより、これまで朝廷の影響力が強かった畿内や西国にも幕府の支配網が張り巡らされ、全国的な武家支配体制が完成したのです。