1973年3月1日、レバノンの首都ベイルート近郊で誕生した重信メイの幼少期は、一般的な家庭の日常とはかけ離れたものでした。母・重信房子が国際手配されていたため、彼女の存在そのものが最高軍事機密であり、戸籍はおろか出生証明書すら存在しない28年間の無国籍生活を余儀なくされたのです。
彼女は幼少期から複数の偽名を使い分け、パレスチナ難民キャンプやベイルート市内の隠れ家を転々と移り住みました。自著『秘密―パレスチナから桜の国へ』のなかで、彼女は当時の特異な生活実態を次のように告白しています。
「友人に本名を明かすことも、自分のルーツを語ることも許されなかった。常に銃撃戦や爆撃の恐怖に怯え、母が生きているのか死んでいるのかさえ分からない夜が数え切れないほどあった」
命の危機と隣り合わせの極限状態にありながら、勉学への意欲を失わなかった彼女は、現地のインターナショナルスクールを経て中東屈指の名門であるベイルート・アメリカン大学(AUB)に進学。政治学および国際関係学を専攻し、卓越した英語、アラビア語、そして母から教わった日本語を操る高度な語学力を身につけました。
転機が訪れたのは2000年11月、母・重信房子が大阪府高槻市で潜伏中に逮捕された瞬間です。母の逮捕という衝撃的なニュースを中東の地で知った彼女は、日陰に隠れ続ける生き方に終止符を打つことを決意。DNA鑑定などを経て2001年3月に念願の日本国籍を取得し、同年4月に28歳で初めて母国・日本の地を踏みました。
来日後は、メディアの過熱報道に晒されながらも学究の道を志し、同志社大学大学院法学研究科博士課程へ進学。国際政治学や中東現代史、メディア表象を専門的に研究し、学術的なアプローチによって自身のルーツと国際社会の矛盾を検証し続けました。出自の重圧を勉学の糧へと昇華させた彼女の経歴は、極めて強靭な意志の上に成り立っています。