オーストリアの名門ハプスブルク家に生まれ、わずか14歳で宿敵フランスの王太子妃となったマリー・アントワネット。彼女の数奇な生涯と、激動の革命プロセスの実像を客観的なデータとともに整理します。
彼女の生涯の重要な転換点を時系列で振り返ると、時代がいかに加速度を上げて彼女を追い詰めていったかが鮮明になります。
- 1755年11月2日:神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女帝マリア・テレジアの第15子としてウィーンで誕生。
- 1770年5月16日:14歳でフランス王太子ルイ(後のルイ16世)と政略結婚。ヴェルサイユ宮殿へ入内。
- 1774年5月10日:ルイ15世の崩御に伴い、夫の即位とともに18歳でフランス王妃となる。
- 1785年:「首飾り事件」が勃発。王妃への世論のバッシングが決定的に悪化。
- 1789年7月14日:バスティーユ牢獄襲撃(フランス革命勃発)。同年10月、ヴェルサイユ行進により一家はパリのテュイルリー宮殿へ軟禁。
- 1791年6月20日:国外脱出を試みた「ヴァレンヌ逃亡事件」が決行されるも失敗、逮捕。
- 1792年8月10日:8月10日事件により王権停止。タンプル塔へ幽閉。
- 1793年1月21日:夫ルイ16世、革命裁判所の判決によりギロチンで処刑。
- 1793年8月2日:コンシェルジュリー牢獄へ移送。「未亡人カペー」として独房生活。
- 1793年10月16日:革命広場(現・コンコルド広場)にて死刑執行(享年37歳)。