魂の抜け殻のようになっていた燁子の運命を大きく動かしたのが、戯曲の出版を通じて知り合った青年・宮崎龍介でした。龍介は、孫文の辛亥革命を物心両面で支えた稀代のアジア主義者・宮崎滔天の長男であり、東京帝国大学法学部を卒業したばかりの新進気鋭の法学士でした。
1920年(大正9年)1月、自作の戯曲『指鬘外道(しまんげどう)』の上演相談のため、東京の出版社で対面した燁子と龍介は、急速に惹かれ合っていきます。当時34歳の白蓮と27歳の龍介。二人は手紙を交わす中で、短歌や文学、社会改革への情熱を分かち合い、やがて700通以上にも及ぶ熱烈な恋文を交わす関係へと発展しました。
燁子が駆け落ちを決意した理由は、単なる不倫の情熱にとどまりません。伝右衛門の度重なる女性問題や、人間性を無視された屈辱的な日々に絶望し、「人として自由に生きたい」「真の愛に殉じたい」という切実な魂の叫びがありました。さらに、龍介の子を身ごもったことが決定打となり、彼女は命を賭して福岡の屋敷を抜け出し、龍介との愛に生きる道を選び取ったのです。