ロンドンの物価が高騰を続けるなか、なぜこのような一等地の贅を尽くした邸宅が入場料無料で見学できるのでしょうか。その理由は、ソーンが没する直前の1833年に成立させた「ソーン博物館法(Soane Museum Act 1833)」という英国議会の私法にあります。
背景にあったのは、ソーンの個人的な苦悩と激烈な家族問題でした。ソーンは自身の後継者として期待していた次男ジョージが放蕩に走り、匿名で新聞に父の建築を中傷する記事を寄稿したことに激怒。自らの血族に財産を相続させることを完全に拒絶しました。その代わりとして選んだのが、「邸宅とすべてのコレクションを国家に信託し、市民の教育のために永久に無料公開する」という前代未聞の法的決断でした。
この議会法には極めて厳格な条件が刻まれていました。「ソーンの死後、建物および展示物の配置を一切変更してはならない」「広く一般に無償で公開し続けなければならない」という条項です。つまり、2026年の今日私たちが目にする彫刻の配置、壁の絵画、ステンドグラスの位置は、ソーンが生きていた1837年当時の状態とほぼ寸分違わず保存されているのです。息子の裏切りに対する怒りと、自らの美学を永遠に不滅のものにしたいという建築家の執念が、この奇跡的な無料美術館を生み出しました。