高校3年の秋、大谷翔平選手は会見を開き、日本プロ野球を経ずに直接MLBへ挑戦する「メジャー挑戦の意向」を正式に表明しました。日米の球団が騒然となり、国内の多くの球団が指名を回避する方針を取る事態となります。
その中で、単独1位指名を強行したのが北海道日本ハムファイターズでした。日本ハム球団は、栗山英樹監督(当時)をはじめとする交渉チームが約30ページに及ぶプレゼン資料「大谷翔平君 夢への道しるべ」を作成。「日本のプロ野球で実力をつけてからメジャーを目指す方が成功確率が高い」というデータを提示しました。
さらに球団が提示したのが、前代未聞の「投打二刀流育成プラン」でした。投手か打者かの二者択一を迫る球団が多い中、両方の夢を同時に追う環境を提示されたことが大谷選手の心を動かし、入団合意という大逆転のドラマを生んだのです。