1890(明治23)年に雑誌特派員として来日したハーンは、なぜ母国の国籍を捨ててまで日本国籍を取得(帰化)したのでしょうか。その背景には、明治期の不平等条約下における過酷な法制度と、家族を守るための切実な決断がありました。
当時の日本は外国人に対する土地所有や法的手続きに厳しい制限が課されており、外国人男性と日本人女性の婚姻は法的な保護が不十分でした。もしハーンが英国籍のまま急死した場合、妻の小泉セツや生まれた子どもたちはイギリスの法律上も日本の民法上も相続権が曖昧になり、路頭に迷う危険があったのです。
ハーンは1896(明治29)年2月、小泉家の家督を継ぐ形で婿養子に入り、日本国籍を取得しました。この帰化によって、彼は東京帝国大学(現・東京大学)での雇用契約が「お雇い外国人」から「日本人教授」扱いとなり、給与が従来の数分の一(月額400円から約100円へ)に激減するという大きな経済的打撃を受けました。それでも家族の安全と将来の生活基盤を最優先にしたこの選択は、彼の強い責任感と深い愛情を物語っています。