喜界島はかつて、絶海の孤島どころか、東アジアの海洋交易ネットワークを結ぶ巨大な要衝だった。1980年代後半に発見され、今なお調査が続く「城久(ぐすく)遺跡群」からは、中国産の白磁や越州窯系青磁、さらには本土産の土器や灰釉陶器が大量に出土している。
9世紀から14世紀にかけて、大宰府や琉球王国、さらには宋との直接的な交易拠点として機能していたことが判明し、日本中世史の定説は根底から覆された。サンゴの石垣に囲まれた集落の路地を歩きながら古の交易船に思いを馳せると、この島が常に開かれたフロンティアであった歴史の深みを感じずにはいられない。