タコ漁の現場で最も驚嘆されるのは、エサとなるカニや小魚が入っていない「空っぽの壺」を海底に沈めるだけで、タコが自ら吸い込まれるように中へ入っていく現象です。水産試験場や行動生態学の研究データによると、この行動の背景にはタコ特有の「走触性(そうしょくせい)」と強烈な防御本能が存在します。
タコは軟体動物であり、硬い骨格を持ちません。体内にある硬い組織は口器である「カラストンビ」と呼ばれる小さな嘴(くちばし)のみです。この極めて柔軟な肉体は、わずか数センチの隙間でも通り抜けられる柔軟性を誇る反面、ウツボやサメなどの天敵に対して皮膚や筋肉を直接さらすリスクを常に抱えています。そのためタコは、体の周囲全体が硬い岩肌や壁面に密着している状態に強い安心感を覚える習性を持っています。海底に設置された壺の内部は、タコにとって「360度すべてが硬いシェルターで守られた理想の隠れ家」として認識されるのです。
さらに不思議なのが、引き上げ作業の際にフタがないにもかかわらず「蛸壺から逃げない理由」です。タコは壺が海底から持ち上げられる際、急激な水流の変化や揺れ、光の刺激を感じると、外へ飛び出して泳ぎ去るのではなく、外敵の襲来と判断して「壺の最も深い奥底へ身を押し込み、強力な吸盤で内壁に張り付く」という防御反射を起こします。漁師はこの「危険を感じるほど奥へ踏ん張る」という逆説的な逃避行動を巧みに利用し、フタのない壺だけで確実に水揚げを行っています。