アンティオキアのアレクサンドロスとアリストテレスの関係については、しばしば誤解がある。アリストテレスは紀元前322年に没しており、アンティオキアのアレクサンドロスが活動した紀元前1世紀とは、およそ250年の隔たりがある。したがって、彼がアリストテレスの直接の弟子であったはずがない。
では、なぜ両者の名前が強く結びつくのか。それは、アンティオキアのアレクサンドロスがアリストテレスの哲学を体系的に教育し、注解した最初期の人物の一人であったからだ。彼はアリストテレスの原典を読み解き、その論理体系を整理し、次世代の哲学者たちに伝える役割を担った。
古代の伝承によれば、彼はアリストテレスの著作のうち、とくに自然学や形而上学に関心を寄せ、その解釈をめぐって同時代の哲学者たちと議論を交わしたとされる。キケロは『アカデミカ』や『トピカ』の中で、アンティオキアのアレクサンドロスに言及し、その博識と論争術を評価している。キケロ自身が彼の講義を聴いた可能性も指摘されており、共和政ローマ末期の知識人たちに強い影響を与えたことは間違いない。
「アリストテレスなしにアンティオキアのアレクサンドロスは語れない」——これは逆もまた真であり、「アンティオキアのアレクサンドロスなしに後世のアリストテレス理解は語れない」のである。