中森明菜の恋愛を語る上で避けて通れないのが、1989年12月31日の大晦日に行われた「金屏風会見」です。この会見は、昭和・平成の芸能史において最も異異様な記者会見の一つとして記録されています。
同年7月に起きた自死未遂騒動から約半年後、突然招集された報道陣の前に置かれていたのは、芸能界で婚約発表の際に用いられる「金屏風」でした。集まった記者たちや全国のファンは「ついに近藤真彦氏との婚約が発表されるのか」と固唾を呑んで見守りました。しかし、登壇した明菜が口にしたのは婚約の報告ではなく、騒動に対する謝罪と、個人事務所「コレクション」設立に伴う独立の発表だったのです。
同席した近藤氏は明菜への励ましを口にしつつも、記者から「結婚の予定は?」と問われると「そういうことは一切ありません」と即座に否定。金屏風の前で深々と頭を下げる明菜の悲痛な表情は、多くの視聴者の胸を締め付けました。
なぜ二人は結婚に至らなかったのか。当時の取材メモや芸能関係者の証言を総合すると、単なる男女のすれ違いだけではなく、以下の3つの構造的要因が絡み合っていました。
- 大手芸能事務所のパワーバランス:当時、男性トップアイドルを抱えるジャニーズ事務所にとって、絶頂期にあるアイドルの結婚はビジネスモデルの崩壊を意味していました。
- 巨額の資金トラブル疑惑:明菜が結婚後の新居購入資金やレース活動支援として拠出したとされる数千万円単位の金銭の行方を巡り、双方の間に埋めがたい不信感が生じていたと報じられています。
- 「家庭に入りたい明菜」と「現役を続けたい相手」の乖離:幼少期から温かい家庭を熱望し、「23歳で引退して良き妻になりたい」と語っていた明菜と、レーサー・タレントとしての野心を追求していた相手との人生観の決定的なズレ。
この会見を機に二人の関係は完全に終わりを告げ、明菜は心身ともに大きな痛手を負うことになりました。