警察と検察は、なぜ証拠のねつ造という破滅的な手段に手を染めたのでしょうか。その背景には、初動捜査における「袴田犯人視」の破綻がありました。
事件当初、警察は袴田さんが犯行時に着用していたとして「パジャマ」を押収し、微量の血痕が付着していると主張していました。しかし、付着していた血痕が極めて微量であったことや、放火現場にいたにしては油の付着がないことなど、裁判を維持するにはあまりに脆弱でした。自白調書をどれほど暴力で積み上げても、物証が伴わなければ公判を維持できないという焦燥感が捜査本部に充満していました。
その危機的状況の中、事件から1年2か月も経過した1967年8月、工場内の「1号味噌タンク」の底から麻袋に入った「5点の衣類(白半袖シャツ、スポーツシャツ、ズボン、ブリーフ、地下足袋)」が突如として発見されます。警察はこの衣類こそが犯行着衣であると主張を一変させました。しかし、ここには科学的に説明のつかない決定的な矛盾がいくつも存在していました。
最大の争点となったのが、「味噌タンク内の血痕の赤み」です。法医学の実験において、血液は味噌の中に長期間浸されると、味噌に含まれるアミノ酸や塩分、酸化作用によって短期間でヘモグロビンが変性し、黒褐色へと変色します。1年以上も味噌漬けにされていたとすれば、血痕が鮮やかな赤色を保っていることは生化学的に絶対にあり得ません。再審公判で弁護側が提出した膨大な味噌漬け実験データは、赤みが残る衣類は「発見の直前に人為的に漬け込まれたもの」であることを科学的に証明しました。
さらに、衣類のサイズ矛盾も捜査の杜撰さを物語っています。発見された緑色のズボンには「B」というサイズ表記(ウエストスリム型)があり、屈強な筋肉質の体格をしていた袴田さんが実際に法廷で試着したところ、太もも部分で止まり穿くことすらできませんでした。検察側は「味噌を吸って縮んだ」という荒唐無稽な主張を展開しましたが、生地の伸縮率実験でも否定されました。初動の誤りを認められない組織のメンツが、無実の市民を犯人に仕立て上げる証拠ねつ造へと突き進ませたのです。