孫正義氏の出自とアイデンティティを語る上で欠かせないのが、佐賀県鳥栖市で過ごした幼少期の過酷な環境です。孫氏は1957年8月、佐賀県鳥栖市五軒道路の通称「朝鮮部落」と呼ばれる無番地エリアで、在日韓国人2世の父・孫三憲氏と母・李玉子氏の間に次男として誕生しました。孫氏の家系図におけるルーツを辿ると、祖父である孫鐘慶氏が1920年代前半に韓国・大邱付近から小舟で日本へ渡り、福岡や佐賀の炭鉱労働や農業に従事した歴史に行き当たります。
当時の一族は、日本社会の厳しい差別を避けるため「安本」という通名(日本名)を名乗っていました。そのため、孫正義氏も少年時代は安本正義として生活していました。豚や密造酒の匂いが立ち込めるバラック長屋で育った孫氏は、自著やドキュメンタリー番組の回顧録において、「自分が周囲の友人と異なる出自であると知ったときのショックと、それを克服するための勉学への執念」を赤裸々に語っています。
福岡県立久留米大学附設高校を中退して渡米し、カリフォルニア大学バークレー校で頭角を現した孫氏は、日本へ帰国して起業する際、父親の猛反対を押し切って通名の「安本」を捨て、先祖伝来の「孫」を名乗ることを決断しました。「何万人の在日コリアンの若者に、本名でも日本で堂々と成功できる姿を示したい」という矜持が、その背景にありました。
その後、事業規模の拡大と国際社会における事業展開を見据え、孫氏は日本国籍の取得へ向けた帰化手続きを進めます。しかし、1990年当時の法務省の窓口では大きな壁が立ちはだかりました。当時の行政運用において、「孫」という姓は日本国内に存在しない外国姓とみなされ、前例がないとして受理を渋られたのです。官僚からは、通名であった「安本正義」での帰化を強く推奨されました。
これに対し孫氏は、並外れた機転と行動力で突破口を開きます。自身の日本人妻(学生時代に出会った大野優美さん)に対し、事前に家庭裁判所へ「夫の通称姓である『孫』に変更したい」と申し立てを行わせました。家庭裁判所が妻の改姓を認めたことで、「日本国籍を持つ『孫優美』という人物」が戸籍上実在する既成事実を作り上げたのです。これを受けて法務省は「すでに日本人に存在する苗字」として受理せざるを得なくなり、孫氏は「孫正義」の氏名のまま日本国籍を取得することに成功しました。