宮崎駿と庵野秀明の師弟関係の真相!巨神兵から読み解く40年の絆

宮崎駿と庵野秀明の師弟関係の真相!巨神兵から読み解く40年の絆

宮崎駿と庵野秀明の師弟関係の真相!巨神兵から読み解く40年の絆にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

二人の伝説的な交錯は、1980年代前半の原宿・トップクラフト(後のスタジオジブリの母体)から始まりました。大阪芸術大学を放校処分同然で離れ、ボストンバッグ一つで上京してきた当時23歳の庵野秀明氏は、『風の谷のナウシカ』のアニメーター募集広告を見てスタジオの扉を叩きます。持参した膨大なメカや爆発のエフェクト作画を見た宮崎駿監督は、その場で採用を即決しました。

任されたのは、作品のクライマックスを飾る「巨神兵の崩壊シーン」でした。人間が描けないと公言していた庵野氏に対し、宮崎氏はあえて最も高度な技術と情念が要求されるカットを託します。ドロドロと肉体が溶け落ちながらプロトプラズマを放つ巨神兵のシークエンスは、若き庵野氏が何十枚もの修正指示に耐え、スタジオの机の下で寝泊まりしながら描き上げたものでした。完成した映像を見た宮崎氏は、その才能を認めつつも「人物が描けない男」と周囲に語り、庵野氏の心に消えない悔恨と敬意を植え付けました。

スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫氏は当時の様子について、後年の取材や手記で「宮崎駿という猛獣に対して、唯一物怖じせずに噛みついていったのが庵野だった」と振り返っています。宮崎氏の圧倒的な演出論と画面設計の哲学は、このナウシカの現場を通じて庵野氏の骨肉となり、その後の『トップをねらえ!』や『新世紀エヴァンゲリオン』の画面構成、タイムシートの設計に決定的な影響を与え続けることになります。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。