2014年夏から秋にかけての一連の展開は、同社の歴史において最大の経営危機となりました。何が起き、なぜ記事の取り消しや撤回、そして社長辞任に至ったのか、具体的な経緯を振り返ります。
32年越しの慰安婦報道記事取消:なぜここまで時間がかかったのか
2014年8月5日から6日にかけて、朝日新聞は朝刊で「慰安婦問題をどう見るか」と題した大規模な検証特集を掲載しました。この中で、山口県労務報国会動員部長を名乗った故・吉田清治氏が「済州島で若い女性を暴力的に強制連行した」と語った証言について、「虚偽だと判断し、記事を取り消します」と明記し、過去に掲載された関連16本の記事を一挙に取り消しました。
しかし、この記事取消は読者や社会からの納得を得るどころか、猛烈な批判を浴びることになります。なぜなら、吉田証言の信憑性については、歴史学者の秦郁彦氏が1992年に現地・済州島での現地調査を行い「吉田氏の証言は全くの創作である」と指摘していたほか、他社メディアや週刊誌、さらには吉田氏本人への取材からも証言の破綻が何年も前から白日の下に晒されていたためです。
第三者委員会報告書において、朝日新聞側が長年訂正を怠った理由として挙げられたのは、「吉田証言の嘘が判明しても、慰安婦問題の本質である女性の人権侵害そのものが否定されるわけではない」という論点のすり替えでした。しかし、この証言が英訳されて海外へ拡散し、クマラスワミ報告書など国連の文書や各国の対日批判決議に引用されたことで、日本の国際的評価に生じた実質的打撃は計り知れません。「事実が虚偽だと分かった時点で速やかに正す」という報道倫理のイロハが、イデオロギー的な防衛意識によって30年以上も封殺された形です。
吉田調書報道の破綻と前代未聞の謝罪会見
慰安婦特集の直後、追い討ちをかけるように炸裂したのが「吉田調書」をめぐる報道トラブルでした。2014年5月20日付の朝刊1面で、同社は政府事故調査・検証委員会による福島第一原発の吉田昌郎元所長(故人)への聴取結果書、通称「吉田調書」を入手したとして、「所長命令に違反 原発離脱」「福島第一 署員の9割」という大見出しを打ちました。
記事は、極限状態の中で第一原発の所員たちが所長命令を無視して我先にと福島第二原発へ逃走したかのような印象を強く与えるものでした。当時、調書そのものは非公開だったため、朝日新聞の特ダネとして世界的なニュースとなりました。しかし、事態は急速に暗転します。
ノンフィクション作家の門田隆将氏をはじめとする関係者への直接取材を行っていたジャーナリストや、産経新聞・読売新聞が相次いで調書の内容を入手・検証。「吉田所長の指示は『第一原発の線量の低い場所で待機せよ』という趣旨であり、退避先を具体的に明示していなかった」「所員が福島第二へ向かったのは線量や連絡体制を考慮した現場判断であり、所長自身も後にそれを追認・是認している」という客観的事実が次々と明るみに出ました。
決定打となったのは、2014年9月に政府が吉田調書の全文を公表したことです。公開された調書には「命令違反」「撤退」に該当する記述は存在せず、記者の思い込みによる歪曲報道であったことが明白となりました。
2014年9月11日夜、木村伊量社長(当時)は緊急記者会見を開き、公の場に立ちました。会見場で深々と頭を下げた木村社長は、吉田調書に関する記事を全面撤回することを発表。同時に、池上彰氏が連載コラムで同社の慰安婦特集を批判した原稿の掲載を一時拒否した問題についても非を認め、全面謝罪に追い込まれました。その後、同年11月には社長辞任を正式に表明し、編集担当役員や関係者が重い処分を受ける前代未聞の結末を迎えたのです。