ここまで「九九八十一」の深層を探ってきたが、大人が改めてこの知識を学ぶこと、あるいは子どもに教育することにはどのような意味があるのだろうか。歴史社会学および教育視点から、客観的な向き不向きの基準を整理する。
教養としての「九九の背景」を深掘りするのに向いている人
- 日常の当たり前に疑問を持てる探求派:「なぜ1からではなく九九なのか」という言葉の綾に面白みを感じ、背後にある歴史や文化の文脈を楽しめる人。
- 子どもの学習意欲を引き出したい保護者・教育関係者:単調な反復練習に苦しむ子どもに対し、「昔の王様や役人も使っていた暗号なんだよ」と物語を提示して視野を広げてあげられる人。
- 東洋思想や文学構造を体系的に理解したい人:『西遊記』や道教の陰陽論に見られる「極陽=9」の数理的思考を、自らの教養やビジネスの構造分析に応用したい人。
単なる実務処理として割り切るべき人(向いていない人)
- 短期間で機械的な計算スピードのみを向上させたい人:歴史的背景や語源を知ることは、純粋な計算処理の速度向上に直接寄与するわけではない。瞬発力のみを求める場合は、そろばんや計算アプリによる反復ドリルに専念するほうが合理的である。
- 抽象的な思想論や古典文学に関心がない人:陰陽五行や秦代の木簡の成立ちといった人文知に価値を感じない場合、これらの情報は単なる余剰情報になりかねない。
算術とは単なる実務の道具ではない。歴史上の先人たちが混沌とした現実世界を数式によって秩序づけ、国家を動かし、自らの運命を切り拓くために編み出した「生きた知恵」である。九九八十一という一見単純な掛け算のフレーズに、人類の知的格闘の痕跡を見出す視点こそが、大人の学び直しにおける最大の果実となる。