正反対に向かって流れるライン川とドナウ川ですが、この2大河川を水路で結ぶ構想は、決して現代の思いつきではありません。その原点は、西暦793年、フランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)が命じた「大帝の堀(フォッサ・カロリーナ)」の開削工事にまで遡ります。
当時、北海と黒海を船で行き来できれば、軍事的にも通商的にも計り知れない覇権を握ることができました。しかし、中世の土木技術ではアルプス以北の分水嶺を越えることができず、豪雨による崩落と泥濘に阻まれて工事は頓挫しました。19世紀に入りバイエルン国王ルートヴィヒ1世が「ルートヴィヒ運河」を完成させたものの、浅く狭い水路は急速に大型化する近代蒸気船の航行に耐えられませんでした。
この千有余年の悲願を完遂させたのが、20世紀後半の西ドイツによる国家プロジェクト「マイン・ドナウ運河」です。ライン川の主要な支流であるマイン川沿岸のバンベルクから、ドナウ川沿いのケールハイムまでを結ぶ全長約171キロメートルの人工運河で、1960年の本格着工から32年の歳月と多額の国費を投じ、1992年9月25日に正式開通を迎えました。
最大の技術的障壁は、途中に横たわるフランケン・ユラ山脈の分水界(標高406メートル)をいかに越えるかでした。エンジニアたちは運河沿いに計16基の巨大な閘門(こうもん=水門で区切られたドック)を建設しました。船を水の階段に乗せるようにして最大約25メートルの高低差を上下させ、山を越えさせる仕組みを構築したのです。
マイン・ドナウ運河の完成によって、オランダのロッテルダム港からルーマニアのコンスタンツァ港まで、ヨーロッパを斜めに縦断する全長約3,500キロメートルの内陸水運ネットワークが一本に結ばれました。冷戦終結直後の東欧諸国にとって、この水路は西欧経済圏へと合流するための決定的な物理インフラとなったのです。