上野戦争での戦死が定説とされる一方で、原田左之助には幕末史の中でも屈指のロマンを誇る「大陸渡航・馬賊生存説」が存在します。
この説の火付け役となったのは、日清戦争(1894〜1895年)当時の新聞報道や軍関係者の証言です。従軍した日本軍将校のもとに、中国大陸の匪賊(馬賊)を率いる老人が現れ、「自分はかつて新選組十番隊組長を務めた原田左之助である」と名乗ったというのです。老人は腹の一文字の傷跡を見せ、幕末の裏事情を克明に語ったと伝えられています。
さらに日露戦争(1904〜1905年)の際にも、満洲の野を駆ける謎の日本人馬賊頭領の噂が立ちました。上野で傷を負ったものの奇跡的に回復し、横浜から密航船で清国へ渡ったという筋書きは、一見荒唐無稽に思えますが、当時の混乱期の実情や原田の超人的な生命力を知る人々の間で熱烈に信じられました。
歴史学的には物証に乏しく伝説の域を出ませんが、「あの不死身の男なら、海の向こうで生きて暴れ回っていても不思議ではない」と人々に思わせるだけの器量が、原田左之助という人物に備わっていたことの証明と言えます。