若宮詩暢を演じる上で、最大の物理的障壁となったのが「左利き」という設定です。松岡茉優自身は右利きであり、日常生活の動作を左手で行うことすら不慣れな状態からスタートしました。競技かるたにおけるクイーンの払いは、常人の目では追えないほどの神速を誇り、少しの迷いや身体のブレも画面を通じて露呈してしまいます。
関係者の証言や当時の制作ドキュメンタリーによると、松岡は撮影に入る数か月前から専属指導員のもとで猛特訓を開始。左手の指先の感覚を研ぎ澄ますため、普段の生活でも左手で箸を持ち、ペンを握る徹底ぶりを見せました。畳に打ち付ける左手は内出血を繰り返し、爪が割れるアクシデントに見舞われながらも、千振(せんぶり)と呼ばれる素振りを毎日何百本と繰り返したといいます。この執念の役作りによって、撮影本番では指導を担当したプロのかるた選手すら驚嘆させるほどの鋭い払いを左手で繰り出す境地に達しました。
その成果が遺憾なく発揮されたのが、映画本編のクライマックスである松岡茉優と広瀬すずの対決シーンです。主人公・綾瀬千早(広瀬すず)の野性味あふれる情熱的な攻めに対し、詩暢(松岡茉優)は微動だにせず冷徹に札を払い飛ばす。二人の視線が交錯する瞬間の張り詰めた空気感は、映画の枠を超えた真剣勝負そのものでした。広瀬すずは当時の特番インタビューにおいて「松岡さんの前に座った瞬間、圧倒的な壁を感じて鳥肌が立った」と吐露しており、役者同士の魂のぶつかり合いが奇跡的な名シーンを生み出したのです。