下積み時代、彼は「友美(ともみ)」という芸名で背の高さ(183cm)を活かした業界初の水着キャンペーンボーイとしてモデル活動を始めていた。モデルとしての露出を増やしながらも、本業である「演技」でのチャンスを掴むべく、連日のようにオーディションを受け続けた。
しかし現実は甘くなかった。受けたオーディションの不合格数は100回を軽く超える。悔しさを噛み締めながらも、彼は自身の演技論をノートに書き留め、英語のセリフの暗誦を毎日欠かさなかった。この不遇の時代に培われた忍耐力こそが、彼の強固な俳優精神の礎となっている。