「天ぷらいもや」の起源は、1959年(昭和34年)に創業者の井手英男氏が神田神保町で始めた焼き芋屋に遡ります。店名の「いもや」はこの創業期の業態に由来しており、その後、高度経済成長期の学生街・本の街として急速に発展する神保町において「安くて腹一杯になる天ぷらを学生に食べさせたい」という信念のもと、大衆天ぷら店へと舵を切りました。
昭和から平成にかけて、神保町エリアには「天ぷらいもや 1号店・2号店」をはじめ、「天丼いもや」「とんかついもや」など最盛期には複数店舗が展開され、一帯は「いもや村」と称されるほどの賑わいを見せました。しかし、2010年代に入ると後継者不在や職人の高齢化により店舗統合が進み、最後の砦であった「天ぷらいもや 専大前店(神保町本店)」が2018年3月31日をもって営業を終了しました。
当時、ネット上では「採算割れではないか」「再開発による立ち退きか」といった憶測も飛び交いました。しかし、当時の店舗スタッフへの取材報道や関係者の証言によると、閉店の決定打となったのは「店主・職人の高齢化に伴う体力的な限界」と「店舗物件の老朽化」でした。毎日1,000人規模の来客をさばき、熱気あふれる油鍋の前に立ち続ける過酷な労働環境の中で、妥協のないクオリティを維持することが難しくなった末の、潔い勇退であったことが明らかになっています。