有吉弘行の芸能史を語る上で避けて通れないのが、1996年に日本テレビ系『進め!電波少年』で放送された「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」です。相方の森脇和成と結成したお笑いコンビ「猿岩石」は、極限状態を旅する姿が一世を風靡し、社会現象と化しました。
帰国後の歓迎特番は視聴率30%を超え、デビューシングル『白い雲のように』はミリオンセラーを記録。書籍やグッズも含めた経済効果は莫大で、当時20代前半だった有吉の最高月収は2000万円に達しました。しかし、この狂乱のブームこそが後の悲劇の引き金となります。
本来、下積みを重ねてトーク力やバラエティの立ち回りを磨くべき時期に、本人の意思とは無関係に「国民的アイドル」へと祭り上げられてしまった猿岩石。ヒッチハイクという特殊な状況下で生まれた熱狂は、旅の終わりとともに急速に冷却していくことになります。