船場吉兆が転落していった背景には、単なる会見の失敗だけではない、長年にわたり常態化していた組織ぐるみの不正がありました。創業者である希代の名料理人・湯木貞一氏が築き上げた「吉兆」の暖簾は、子息たちへ暖簾分けされる過程で変質していったと関係者は指摘します。
船場吉兆は佐知子氏の夫である湯木喜久男氏が代表を務め、実質的には佐知子氏と息子たちが切り盛りする同族経営の体制をとっていました。しかし、過度な利益追求とブランドへの慢心が、信じがたい不正の数々を招来することになります。
船場吉兆 廃業 理由の決定打となったのは、偽装発覚後の営業再開直後に明るみに出た「食べ残し料理の使い回し」でした。鮎の塩焼きを焼き直して別の客へ提供したり、刺身やワサビを再利用したりしていた実態が元従業員の内部告発によって暴かれたのです。「吉兆」という最高峰の看板を掲げながら、客への敬意を完全に欠いた衛生観念の破綻は、もはや弁解の余地のないものでした。