ファッショナブルな集団としてスタートしたチーマーは、なぜ「渋谷の恐怖の代名詞」へと転落していったのでしょうか。その転換点は、1990年から1992年にかけての急激な変質にありました。
警視庁の少年補導記録や当時の特番ドキュメンタリーの証言を検証すると、ブーム加熱に伴い、都内全域や神奈川・埼玉・千葉の近郊エリアから「渋谷の看板」を狙う不良少年たちが大挙して流入してきた事実が浮かび上がります。これにより、当初の「仲間内のコミュニティ」は解体され、渋谷の覇権をめぐる熾烈な縄張り争いが勃発しました。
この時期、渋谷の路上では以下のような犯罪行為が日常化し、社会問題として連日報じられるようになります。
① パー券(パーティー券)の強売:
クラブやディスコを貸し切って開催するイベントの入場チケットを、一般の高校生や中学生に対して脅迫まがいに売りつける手口です。1枚数千円のチケットを数十枚単位で押し付け、ノルマを達成できない少年を暴行する事件が多発しました。
② カツアゲと「狩り」の横行:
道行く若者を路地に引き込み、財布や高級スニーカー、限定モデルのフライトジャケット(MA-1など)を暴力で奪い取る行為です。エアマックス狩りやオヤジ狩りの原型は、この時期のチーマーによる金品強奪にあります。
③ 鉄パイプやバットを用いた集団抗争:
「宇田川警備隊」「三軒茶屋トップス」「キラー連合」といった有名チーム同士がセンター街や宮下公園で衝突。1992年5月には、渋谷の路上で対立するグループの少年が鉄パイプで撲殺される凄惨な事件が発生し、チーマーはもはや流行現象ではなく「明確な犯罪組織」として警察の壊滅ターゲットに指定されました。
当時の少年院記録や法廷手記には、「渋谷のセンター街を歩く時は、誰とも目を合わせてはならない」「靴を踏まれただけで数十人に囲まれ拉致された」という凄まじい証言が数多く残されています。華やかな消費都市の裏で、渋谷は法と秩序が届きにくい無法地帯へと急速に変貌を遂げていたのです。