順風満帆に見えた藤間紫の人生が大きく舵を切った背景には、最初の結婚における深い孤独がありました。1944年、21歳の若さで結婚した相手は、24歳年上の師匠・二世藤間勘祖(六世藤間勘十郎)でした。長女の高子(後の初世藤間高子)、長男の康詞(後の八世藤間勘十郎)を授かりますが、その結婚生活は「夫婦」というよりも「厳格な師弟」そのものでした。家庭内でも芸の規範に縛られ、人間としての自由を極限まで奪われた生活のなかで、紫の心は次第に窒息状態へと追い込まれていきます。
そこに現れたのが、当時まだ若手歌舞伎俳優として頭角を現しつつあった16歳年下の三代目市川猿之助でした。猿之助にとって藤間紫は幼少期からの憧れの舞踊指導者であり、芸術上の絶対的なミューズでした。一方で猿之助自身も、女優の浜木綿子氏と結婚して長男(後の香川照之氏)が誕生したばかりでしたが、家庭生活はすでに破綻の危機に瀕していました。
閉塞した梨園の因習と闘っていた2人が惹かれ合うのに、長い時間はかかりませんでした。1968年、浜木綿子氏との離婚が成立した猿之助のもとへ、紫は地位も財産も名声も捨てて身を寄せます。世間はこれを「16歳差の略奪婚」「前代未聞の駆け落ち」と猛烈にバッシングしました。しかし、紫自身の手記によれば、それは単なる男女の情欲ではなく、「一人の表現者として生き直すための命がけの脱出」であったと述懐されています。
前夫・藤間勘十郎との離婚調停および裁判は泥沼化し、解決までに実に16年もの年月を要しました。紫は勘十郎家から事実上追放され、名門の看板を剥奪されましたが、1985年にようやく正式離婚が成立。そして2000年、出会いから数十年を経て、紫77歳、猿之助61歳の時に正式に入籍を果たしました。世間から白眼視されながらも貫き通したこの大恋愛は、昭和・平成の芸能史において最も苛烈で純粋な人間ドラマとして刻まれています。