手塚治虫の闘病生活は、まさに「創作への飽くなき執念」そのものでした。1988年の最初の手術後、一時的に退院して上海のアニメーションフェスティバルへ渡航するなど、医師の静止を振り切って精力的に活動を再開させました。しかし同年秋には病状が悪化し、再入院を余儀なくされます。
病院のベッドの上でも手塚は決してペンを離しませんでした。点滴チューブが腕に刺さり、激痛と衰弱に襲われながらも、特製の画板を胸の上に置き、連載中だった漫画の原稿やアニメーションの絵コンテを描き続けました。見舞いに訪れた編集者に対しても、進行中の原稿の打ち合わせを平然と行う姿は、周囲の胸を締め付けました。
そして、意識が混濁し始めた最期の瞬間に放たれたのが、あまりにも有名な「頼むから仕事をさせてくれ」という一言です。看護師が休むように促し、ペンを取り上げようとした際に発せられたこの言葉は、遺言や辞世の句という枠組みを超え、生涯を表現者として生き抜いた手塚治虫の魂の叫びとして後世に語り継がれています。