今日、私たちが原宿の地で世界屈指の浮世絵を鑑賞できる背景には、一人の実業家が抱いた強烈な危機感と国家的使命感がありました。東邦生命保険の社長などを務めた実業家、五代太田清蔵(1893–1977)その人です。
明治維新から大正期にかけて、日本の近代化の陰で莫大な数の浮世絵が海外へ流出しました。当時、国内では「過去の古びた印刷物」として軽視され、陶磁器の緩衝材として輸出用荷物に詰められることすらあった浮世絵に、欧米のジャポニスム信奉者たちが熱狂。名品が次々と海を渡っていったのです。昭和初期、欧米を視察した太田清蔵は、ボストン美術館や大英博物館などに日本の至宝が大量に収蔵されている光景を目の当たりにし、深い衝撃と痛惜の念を抱いたと伝えられています。
「このままでは、日本の若者が自国の誇るべき美術史を学ぶために、海外へ赴かなければならなくなる」——。この強い危機感こそが、彼を半世紀にわたる収集へと駆り立てる原動力となりました。太田清蔵は私財を投じ、海外へ流出しそうになる作品を食い止め、既に欧米へ渡っていた名品を粘り強く買い戻していきました。彼が生前遺した回想録や関係者の証言によると、美術商との交渉では一切の妥協を許さず、真贋の選別と保存状態の良さに異常なまでの情熱を注いだといいます。
清蔵の没後、その遺志を継いだ遺族によってコレクションが一般公開されることとなり、1980年1月、現在の地に「太田記念美術館」が開館しました。自らの名誉や投資目的ではなく、散逸を防ぎ文化を次世代へ手渡すために捧げられた半世紀の執念が、この美術館の礎となっています。