田岡組長狙撃という前代未聞の事態を受け、山口組側は直ちに全国規模の動員をかけ、鳴海清の行方を追うとともに松田組系組織への激しい報復攻撃を開始しました。警察関係者の記録によると、事件直後から松田組関係者の事務所や自宅が相次いで銃撃され、関西圏は事実上の厳戒態勢に突入しました。
一方、現場から逃走した鳴海は、松田組の友好団体であった「忠成会」の支援を受け、地下へと潜行します。兵庫県警の捜査資料によると、鳴海は兵庫県三木市、加古川市、神戸市内のアパートや隠れ家を転々と移動しながら潜伏を続けていました。
警察当局は10月に入り、鳴海を匿った犯人蔵匿の疑いで忠成会の関係者らを相次いで逮捕しました。取り調べに対し、関係者は隠れ家を提供していた事実を認めたものの、鳴海本人の所在は1978年8月31日に神戸・新開地の事務所で目撃されたのを最後に、完全に途絶えていたのです。