大塚範一アナウンサーのキャリアと闘病の歴史は、まさに挑戦の連続でした。早稲田大学政治経済学部を卒業後、1973年にNHKへ入局。『サンデースポーツスペシャル』や『クイズ百点満点』で卓越したアナウンス力とお茶の間に愛されるキャラクターを確立した大塚さんは、1994年春にフリーへと転身。同年4月にスタートしたフジテレビ系『めざましテレビ』の初代総合司会に抜擢されました。そこから2011年までの17年半、毎朝午前3時に起床してスタジオ入りする過酷な生活を続け、名実ともに「日本の朝の顔」としての地位を築き上げました。
しかし、2011年11月、首のリンパ腺の腫れに気づき医師の診察を受けたところ、急性リンパ性白血病(※一部で急性骨髄性白血病と混同されがちですが、公表された正確な診断名は急性リンパ性白血病)の告知を受けます。そこから始まった壮絶な闘病のタイムラインを以下に整理します。
一度は退院し、復帰目前まで漕ぎ着けながらも突きつけられた白血病の再発。大塚さんは当時の手記やインタビューで「絶望という言葉すら軽すぎるほどの暗闇だった」と語りつつも、臍帯血移植という難度の高い治療に立ち向かいました。この移植手術の成功こそが、今なお大塚さんが命を繋ぎ止めている最大の医学的支柱です。