ベラミ事件が勃発した背景には、1970年代後半に関西で激化していた「大阪戦争」と呼ばれる山口組と松田組の血みどろの抗争劇がありました。1975年、松田組系大日本正義団の会長・吉田芳弘が山口組系組員によって射殺された事件を機に、両組織の対立は頂点に達します。鳴海清はこの吉田会長を強く崇拝しており、会長を失った悔しさと組織への忠誠心から、敵の最高幹部に対する報復計画を密かに練り上げていました。
1978年7月11日夜、京都市東山区の高級クラブ「ベラミ」で運命の瞬間が訪れます。田岡一雄組長が側近とともに来店し、くつろいでいたところへ、鳴海清が店内に潜入。至近距離から38口径のリボルバー(回転式拳銃)で数発を発砲しました。銃弾1発が田岡組長の首後部を貫通し、重傷を負わせたものの、奇跡的に命を取り留めました。
当時、暴力団界の頂点に君臨していた田岡組長を直接狙撃したというニュースは、日本全国の警察組織およびマスメディアに未曾有の衝撃を与えました。鳴海清は現場から瞬時に逃走し、警察による威信をかけた大包囲網と、山口組傘下の数百人規模のヒットマンによる追跡が同時にスタートしたのです。