豊臣秀吉の城の真実|大坂城地下遺構から消された名城の謎まで徹底解明

豊臣秀吉の城の真実|大坂城地下遺構から消された名城の謎まで徹底解明

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佐賀県唐津市の東松浦半島に位置する名護屋城跡を実際に訪れると、多くの城郭愛好家や歴史研究者が「大坂城以上の衝撃を受けた」と口を揃える。秀吉が朝鮮半島への出兵(文禄・慶長の役)のために天正19年(1591年)に築かせたこの要塞は、わずか半年前後で完成したにもかかわらず、本丸・二の丸・遊撃丸など広大な郭を備え、当時は大坂城に次ぐ国内第2位の面積を誇った。

現地を歩いて圧倒されるのは、城本体の遺構もさることながら、半径約3キロメートルの丘陵地帯に広がる肥前名護屋城跡陣跡の存在である。徳川家康、前田利家、伊達政宗、上杉景勝、島津義弘など、全国から動員された名だたる大名陣跡が130箇所以上も確認されており、国の特別史跡に指定されている。SNSや歴史コミュニティの現地レポートでも以下のようなリアルな声が寄せられている。

「名護屋城博物館から陣跡を巡ったが、山全体に各大名の石垣がそのまま残っていて鳥肌が立った。伊達政宗陣跡や徳川家康陣跡を歩くと、まるで日本中の大名が無理やり一箇所に集められた『異様な軍事都市』の熱気と狂気が生々しく伝わってくる」(40代・歴史愛好家)

「大坂城と違ってビルや近代建築に邪魔されないため、陣地の配置や地形の起伏がそのまま残っている。秀吉の狂気じみた動員力と、天下を統一した男が最後に見た海の景色を追体験できる唯一無二の場所」(30代・城郭探訪ブロガー)

佐賀県立名護屋城博物館による近年の発掘調査と整備事業によって、各大名の陣跡からは生活の痕跡を示す陶磁器や金箔瓦、茶道具が多数出土している。ただの兵舎ではなく、各大名が秀吉の歓心を買うために茶室を設け、能を舞い、京都の宮廷文化を辺境の地に再現していた。名護屋城跡は、秀吉という一個人の誇大妄想的な意志によって、寒村が一夜にして10万人規模の国際軍事都市へと変貌し、秀吉の死とともに一瞬にして廃墟へと還っていった「戦国末期の巨大な蜃気楼」の実態を現代に突きつけている。

伊藤 翔太
著者

伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。