天地真理が辿った経済的な軌跡は、昭和の芸能界が抱えていた構造的課題を色濃く反映しています。1971年のデビュー曲『水色の恋』から『ひとりじゃないの』など、シングルが連続してオリコン1位を獲得し、キャラクターグッズや自転車まで飛ぶように売れた全盛期、彼女が所属していたのは大手・渡辺プロダクションでした。
当時の芸能界は、どれほどレコードが売れてもタレント本人には莫大な印税が入らない完全固定給システムが主流でした。10代から20代前半の多感な時期、睡眠時間は連日2〜3時間という極限のスケジュールで働きながら、本人の手元に残った月給は同世代の一般的なOLとさほど変わらない金額だったと、後に自著や回想録で明かされています。
さらに、引退と復帰の繰り返し、1986年の結婚と1996年の離婚、そして体調悪化による長期休業が重なり、蓄えを形成することが極めて困難でした。自営業者としての期間が長かったことから受給できる公的年金は国民年金(基礎年金)が中心であり、月額にして数万円から十数万円程度にとどまっていたことが、貯金底つきの決定打となりました。