ネット上の質問サイトや自習中の生徒のノートを見ていると、多くの読者が陥る典型的な誤解が存在します。「鹿おどしも竹や石を加工した人工物なのに、なぜ『自然に任せる日本文化の象徴』として西洋の噴水と対比されるのか?」という疑問です。
この疑問を放置したままテストに臨むと、応用問題で必ず失点します。山崎正和の論理の卓越した点は、まさにこの「人工の逆説(パラドックス)」を突いている点にあります。
西洋の噴水は、水を人工の力(水圧やポンプ)によって「水そのものの性質に逆らわせる」ための装置です。自然界では水は上から下へ流れるものですが、それを無理やり下から上へと逆流させ、空間に固定します。すなわち「自然に対する人間の意志の勝利」を誇示する人工物です。
対する鹿おどしは、人工の道具(竹筒と支柱)を用いながらも、その動力源は「自然の傾斜に従って流れ込む水」そのものです。水が溜まるのも、竹が傾くのも、重力という自然の摂理に完全に従っています。さらに、竹が岩を打つ人工的な打撃音は、庭園の人工性を誇示するためではなく、「その音が響く前後の圧倒的な自然の静寂」を聴き手の意識に浮かび上がらせるために存在します。
つまり、鹿おどしにおける人工とは「自然の法則と時の移ろいを際立たせるための最小限の黒子」に過ぎません。この「自然の征服(噴水)」と「自然への従属と際立たせ(鹿おどし)」の差異を言語化できるようになれば、定期テストの難関記述問題でも満点回答を作ることが可能になります。