日本の体操着の歴史と経緯を辿ると、最初からあのような密着型のショート丈だったわけではありません。明治時代後期から昭和初期にかけて、女子体育の黎明期に導入されたのは、アメリカから伝来した「提灯(ちょうちん)型」と呼ばれるゆったりとした袋状のロングブルマでした。肌を露出させず、動きやすさを確保するための衣服だったのです。
風向きが劇的に変わったのは、1964年の東京オリンピック前後でした。女子バレーボール日本代表、いわゆる「東洋の魔女」が着用していたアクリルや伸縮性ナイロン素材のショートパンツが脚光を浴び、スポーツウェアとしての機能美が賞賛されたことが発端となります。
これに目をつけた大手スポーツ衣料メーカーが、伸縮性に優れたニット素材の「密着型ブルマ」を開発・量産化。当時、急速に進められていた学校教育の規格化・集団行動重視の波に乗り、「脚の可動域が広く、怪我をしにくい」「整列させたときの美観が揃う」といった名目で、1960年代後半から1970年代にかけて全国の学校指定ウェアとして猛烈な勢いで普及していきました。
しかし、素材の改良が進むにつれて裾口やウエストのゴムが強化され、脚ぐりはより深く、丈は極端に短く進化していきました。本来の「運動機能性の向上」という建前を置き去りにしたまま、無批判に肌への密着度と露出度が高められていったことこそが、後の深刻な悲劇を招く土壌となったのです。