慶応元年(1865年)、坂本龍馬や近藤長次郎ら勝海舟門下生を中心に結成されたのが「亀山社中」です。長崎の豪商・小曽根乾堂(こぞねけんどう)らの資金援助や薩摩藩の後援を受け、亀山(現在の伊良林地区)の地に居を構えました。彼らの表向きの顔は物資の運送や貿易を手掛ける商業結社でしたが、その真の狙いは長州藩と薩摩藩の軍事同盟を成立させるための武器仲介でした。
当時、幕府から長州征討の圧力を受けていた長州藩は最新鋭の洋式銃を求めており、亀山社中が薩摩藩名義でグラバー商会からミニエー銃や軍艦ユニオン号(桜島丸)を代理購入して長州へ搬送。これが後の薩長同盟締結(1866年)という歴史的快挙へ直結したのです。
よく混同される「亀山社中」と「海援隊」ですが、その性格と組織構造には明確な転換点が存在します。社中所有の帆船「ワイル・ウェフ号」の沈没事故や財政難を経て、慶応3年(1867年)に土佐藩公認の外郭団体として再編されたのが「海援隊」です。私的な志士集団から藩の後ろ盾を持つ公的組織へと脱皮し、給与体系や隊規が確立された点が決定的な違いといえます。