一連の小室氏を巡る動静は、現代の報道機関と社会ジャーナリズムに対して重い課題を突きつけている。商業的関心や視聴率を重視するあまり、特定個人のプライバシーや人権を度外視した報道が社会的な正義として正当化されてきた側面は否定できない。
NHKや民放各局をはじめとするメディアは、公的な関心事と個人的な権利の境界線をどこに引き定めるべきだったのだろうか。日本社会が提示した無言の圧力に屈せず、渡米して自らの職責を果たす道を選んだ彼の姿は、報道のあり方や「世間」という見えない裁判所の弊害を可視化させる契機ともなった。