事件収束後、警視庁鑑識課および法医学チームによって総監室の現場検証が行われ、詳細な三島由紀夫の検視調書が作成されました。切断された三島と森田の首は、総監室の絨毯の上に並べて置かれ、警察の手によって現場写真が記録されました。
遺体は直ちに慶應義塾大学病院の法医学教室へと搬送され、司法解剖に付されました。解剖所見によると、三島の腹部切創は深さ約5〜6cm、長さ約13〜14cmに及び、強靭な腹筋を貫通していたとされます。また、頸部には複数の打撃創と、最後の一撃による明瞭な切断面が記録されていました。
司法解剖終了後、三島の遺体は遺族および関係者のもとへ戻り、丁寧な処置が施されました。首と胴体は高度な形成外科的手法によってきれいに縫合され、軍服姿に整えられた上で白木の棺に納められました。密葬を経て、遺骨は東京都府中市の多磨霊園にある平岡家(三島の本名)の墓所へと静かに埋葬されています。