神社巡りを楽しむ中で多くの人が疑問を抱くのが、「市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)」と「弁財天(弁才天)」の境界線です。両者は現代でこそほぼ同義として親しまれていますが、そのルーツは全く異なる2つの体系から成り立っています。
市杵嶋姫命は、日本神話の『古事記』『日本書紀』において、天照大御神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が天の安河で行った「誓約(うけい)」によって誕生した宗像三女神(田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神)の一柱です。「イチキシマ」という名は「斎き島」、すなわち神を斎き祀る神聖な島を意味し、古くから玄界灘を渡る古代航路の守護神、国家鎮護の神として宗像大社(福岡県)や厳島神社(広島県)で祀られてきました。
一方の弁才天は、古代インドのヒンドゥー教の女神「サラスヴァティー」に由来します。サラスヴァティーは聖なる大河の化身であり、流れる水のせせらぎから「音楽・弁舌・学問・芸術」の神として崇められ、仏教に取り入れられて天部の神(妙音天・弁才天)となりました。やがて日本に仏教が伝来した際、「水に関わる美しい女神」という共通点から、神道の市杵嶋姫命と仏教の弁才天が自然と結びついたのです。
室町時代から江戸時代にかけて神仏習合が深まると、弁才の「才」が「財」へと通じることから金運・福徳の神(七福神の一員)としての信仰が一気に開花しました。明治維新の神仏分離令によって、全国の弁天社の多くは「市杵嶋神社」や「市杵島神社」へと社名を改め、祭神を市杵嶋姫命と明記する公的な転換を遂げました。現在でも「弁天さま」と呼び親しまれながら神社として鳥居を構えている背景には、千年以上をかけて培われた重層的な信仰のグラデーションが存在しています。