『あぐり』の全156回に及ぶ放送の中で、最大の転換点となり、日本中を悲痛な叫びで包んだのが、夫・望月エイスケの突然の死でした。物語が中盤を過ぎた第88回・第89回において、何の前触れもなく訪れた別れは、当時のテレビ界に空前の衝撃をもたらしました。
劇中におけるエイスケ死因と真相は、外出先で突如倒れ、そのまま帰らぬ人となる急性心不全として描かれました。前日まで普段と変わらず飄々と冗談を言い、あぐりに優しい言葉をかけていた男が、次の瞬間には冷たい骸となって帰ってくる――この急転直下の展開に、NHKには放送終了直後から「なぜエイスケさんを殺してしまったのか」「嘘だと言ってほしい」という抗議や悲痛な電話が数千件規模で殺到しました。
史実における実在モデル吉行エイスケの最期もまた、あまりに早すぎるものでした。1940年(昭和15年)7月8日、避暑のために滞在していた静岡県熱海市において、狭心症の発作を起こし急逝。持病として重い喘息を患っていたことに加え、過酷な執筆生活や酒、モダンボーイとしての無頼な生活習慣が心臓に致命的な負担をかけていたと伝えられています。享年はわずか34歳でした。
なぜここまで視聴者は打ちのめされたのでしょうか。そこにはエイスケロス現象の理由として、野村萬斎の演技評判がもたらした革命的なキャラクター像の確立がありました。
それまでの朝ドラにおけるヒロインの夫像といえば、真面目で実直、苦境を共に耐え忍ぶ良き伴侶が定番でした。しかし萬斎演じるエイスケは、定職にも就かず、小説や詩の執筆に夢中になり、気まぐれに家のお金を持ち出しては放蕩を尽くすという、ある種のダメ男でした。それにもかかわらず、狂言の伝統で培われた無駄のない美しい所作、独特の艶やかな声、妻・あぐりの夢を誰よりも肯定し枠にはめない究極の包容力を見せつけました。浮世離れした美意識とチャーミングな人間味が、当時の女性視聴者のみならず幅広い世代を虜にし、「エイスケが画面から消えるなら、もう明日からドラマを見られない」という本物の喪失感を生み出したのです。