「明鏡止水」を使いこなす上で最も多くの人がつまずくのが、類語との微妙なニュアンスの差です。特に「虚心坦懐(きょしんたんかい)」や「泰然自若(たいぜんじじゃく)」とは同義語として雑に扱われがちですが、心理的アプローチや向いているベクトルは明確に異なります。
「虚心坦懐」の「虚心」は心に先入観やわだかまりがないこと、「坦懐」はわだかまりがなく平らかな胸の内を指します。つまり、会議や対話の場で「相手の意見に耳を傾けようとする受容的態度」を強調する場面で用いられます。これに対し「明鏡止水」は、対人関係にとどまらず、孤高の極致において自らの内面から一切の雑念が消え去った状態そのものを指す言葉です。
「泰然自若」が外的な嵐に対してびくともしない巨岩のような力強さを含むのに対し、「明鏡止水」は水面のように外力をそのまま受け流し、鏡のように現実を歪みなく捉える繊細な透明感を宿しています。対義語としては、心が馬や猿のように暴れ回る「意馬心猿」や、恐れから実体のない幻影に怯える「疑心暗鬼」が挙げられます。