信濃そばがこれほどまでに神格化された最大の理由は、看板料理である「肉うどん」の圧倒的な完成度にあります。名だたる芸人たちが舞台の合間や二日酔いの朝にすすり、エネルギーをチャージした伝説の一杯です。
大阪うどんの基本である「ウルメ節・サバ節・昆布」を贅沢に使った黄金色の出汁に、甘辛くじっくりと煮込まれた薄切り牛肉の煮汁が溶け出すことで、重層的な旨味とコクが生まれます。一般的な讃岐うどんのような強いコシではなく、ふんわりと柔らかく出汁を吸い込む大阪特有のうどん玉が、胃壁を優しく包み込みます。この「出汁を飲ませるためのうどん」という構造こそが、極度の緊張とプレッシャーに晒される舞台芸人たちにとって至高の癒やしとなっていました。
当時の特番インタビューや自著・手記で語られたエピソードにも、その偏愛ぶりが克明に刻まれています。「劇場の出番直前、出前で届いたラップを外した瞬間の湯気で緊張が解けた」「金配給の若手時代、先輩に初めてご馳走になったのが信濃そばの肉うどんとおにぎりだった」といった告白は枚挙にいとまがありません。
肉うどん以外にも、刻んだ油揚げが山盛りにのった「きざみそば」、天かすの香ばしさが際立つ「ハイカラうどん」、さらには出汁の旨さをダイレクトに楽しむ「きつねうどん」など、庶民的な名物メニューが揃っていました。どの料理も飾り気はないものの、一口すすれば身体の芯から緊張が解けていく計算し尽くされた塩分濃度と旨味の設計が施されていたのです。