姿美千子が残した最大のミステリーとも言えるのが、「なぜ20代半ばの若さで、あれほど栄光に満ちた女優業を永久に退いたのか」という引退理由の真相です。
彼女の歩みを振り返ると、その経歴はまさにシンデレラストーリーそのものでした。1961年、大映が将来のスター候補を発掘するために主催した「ミス・十代コンテスト」において、全国数千人の応募者の中から見事にグランプリを獲得。翌1962年に映画『すてきな16才』で鮮烈な主演デビューを飾りました。大映の看板女優として、若尾文子や山本富士子といった妖艶なトップ女優陣が並ぶスタジオの中で、清純かつ快活な「十代のアイドル女優」という独自のポジションを確立したのです。
当時の彼女の瑞々しいビジュアルは、ブロマイドの売り上げでも常に上位を独占し、若い頃の可憐な姿を収めたスチール写真は現在でも昭和レトロファンの間で高値で取引されるほどの人気を博していました。『大魔神』(1966年)で神の怒りを鎮めるために涙を流して祈るヒロイン・小笹役など、通算60本以上の映画作品に出演し、大映のドル箱スターとして駆け抜けました。
しかし、彼女を取り巻く環境は1970年代初頭に暗転します。長年所属した大映が深刻な経営難に陥り、1971年12月に破産宣告を受け倒産したのです。所属俳優たちが他社への移籍や独立、テレビドラマ界への本格進出など生き残りを模索する混乱期に、姿美千子のもとにも他社からの専属契約やドラマ出演の熱烈なラブコールが相次ぎました。
その誘いをすべて断り、1972年に結婚・完全引退を選んだ最大の理由は、「虚飾の世界に未練を残さず、ひとりの女性として倉田誠の人生を支える」という強固な人生設計にありました。映画会社の倒産という芸能界の栄枯盛衰を間近で目撃した彼女は、名声の儚さを誰よりも知っていました。だからこそ、愛する人のマウンドと新しい家庭の構築に自らの存在価値を見出し、一度決めたら決して振り返らない覚悟でマイクと台本を置いたのです。