現代の学習者が陥りがちな最大の誤解は、「土地が自分のものになるのだから、当時の農民たちは大喜びで開墾に励んだのだろう」というイメージです。歴史研究者や現場の教員の間でも、このステレオタイプの修正が度々指摘されています。
墾田永年私財法には、身分に応じた「開墾面積の制限規定」が設けられていました。一位の貴族には500町、親王には500町から300町、無位の庶民には10町といった具合です。しかし、資本力のない庶民にとって、1町(約1ヘクタール)の原野を開墾することすら命がけの難業でした。用水路を掘削する鉄製農具は極めて高価であり、開墾期間中の食料を備蓄できる体力もありません。
結局のところ、開墾制限の枠組みを最大限に活用できたのは特権階級だけであり、庶民は自ら土地を持つどころか、貴族や寺社の荘園で低賃金の小作人(初期荘園の加作人)として使役されるケースがほとんどでした。つまり、この法律は農民の自立を促したのではなく、「富める者はますます富み、持たざる者は隷属する」という古代社会の圧倒的な経済格差を固定化した法令だったというのが、近年の歴史学における一致した見解です。