物語の原点は、徹底的な「喪失」から始まる。かつて料亭で腕を振るっていた主人公・尽八は、理不尽な事件によってキャリアも愛する者も奪われ、身も心もボロボロの状態で北の果ての集落へと流れていく。吹雪のなかで意識を失いかけた彼を救ったのが、人里離れた場所に佇む食堂「まぐだら屋」だった。
そこに漂うのは、名物のあつあつの汁物や、素材の旨味を極限まで引き出した質素ながら力強い料理の匂いだ。どん底の絶望にいた尽八にとって、一口の温かい食事が冷え切った身体だけでなく、凍りついた心臓までゆっくりと解かしていく過程が胸を突く。食卓とは単なる栄養補給の場ではなく、人と人とが命を分け合う聖域であるという原田マハの力強いメッセージが、冒頭から立ち上ってくるのだ。