欧州でのDSA(デジタルサービス法)の本格運用や、日本国内における海賊版・違法アップロード対策の強化など、デジタル空間における法的責任の所在はこれまで以上に厳しく問われている。単なる「場所の提供」を口実に責任を回避できた時代は完全に終焉を迎えた。
しかし、過度な自主規制やプラットフォームによる一律のコンテンツ削除は、健全なパロディやサブカルチャー表現、ひいては知的な批評の場までをも萎縮させる諸刃の剣だ。健全なインターネット環境の保全という大義名分の裏で、多様な個人表現がどこまで許容されるべきなのかという議論は、未だ着地点を見出せていない。