現代の家庭やクリニックで使用されている血圧計は、ほぼすべてが電子センサーを用いたデジタル式です。にもかかわらず、なぜ現在も「水銀」を基準とした単位が使われ続けているのでしょうか。そこには流体力学的な必然性と、医学の発展における確固たる経緯が存在します。
19世紀末、イタリアの内科医スコーネ・リバロッチが腕帯(カフ)で動脈を圧迫して水銀柱を持ち上げる血圧計の原型を開発し、1905年にロシアの外科医ニコライ・コロトコフが聴診器で血流音(コロトコフ音)を聞き取る測定法を確立しました。このときに媒体として選ばれたのが常温で液体として存在する唯一の金属である「水銀」でした。
水銀の密度は水の約13.6倍という極めて重い性質を持ちます。もし人間の血圧(約120mmHg)を水柱で測定しようとすると、120mm × 13.6 = 約1,632mm(約1.6メートル)ものガラス管が必要になります。診察室に高さ2メートル近い器具を置くのは現実的ではありませんが、水銀を用いればわずか数十センチメートルのコンパクトな装置で正確に圧力を視覚化できるという物理的メリットがあったのです。
現代の科学界では、圧力の国際単位系(SI単位)として「パスカル(Pa)」または「キロパスカル(kPa)」が広く普及しています。換算すると「1mmHg = 約133.322Pa(約0.133kPa)」となりますが、血圧をkPa表記に改めると「最高血圧16.0kPa / 最低血圧10.7kPa」といった表示になり、過去1世紀以上にわたって蓄積されてきた膨大な臨床データや診断基準値との連続性が損なわれてしまいます。
日本の計量法においても、国際単位系への移行を進める原則のなかで、「生体内の圧力の計量(血圧測定)」に限り、例外措置として現在もmmHgの使用が法的に認められています。