秋になるたびに「ノーベル賞プロジェクト」を立ち上げ、候補者をピックアップして重点支援しようとする韓国の行政手法に対しても、強い疑問の論調が張られている。ノーベル賞は狙って獲るものではなく、自由な探求と偶然の発見(セレンディピティ)が積み重なった結果に過ぎないという本質的な指摘だ。ある有力紙の論説委員は、「受賞者を人工的に作り出そうとする試み自体が、ノーベル賞の本質から最も遠ざかる行為だ」と辛辣に批判している。
実際、過去に韓国政府が鳴り物入りでスタートさせた大規模研究事業の多くが、政権交代のたびに評価基準を変えられ、不完全燃焼のまま幕を閉じてきた。研究者が論文の「本数」や「掲載誌のインパクトファクター」を稼ぐための事務作業に奔走させられる現行の評価体系を根底から見直さない限り、ノーベル財団からの電話がソウルに鳴り響く日は来ないとの冷ややかな見方が支配的だ。