梅沢富美男の代名詞となった「下町の玉三郎」という愛称は、1970年代後半から1980年代初頭にかけて定着しました。当時、歌舞伎界で当代随一の女形として絶大な人気を誇っていた坂東玉三郎になぞらえ、庶民が足を運ぶ下町の大衆演劇場で熱狂的な支持を集めていたことから名付けられたものです。
彼が所属していた梅沢劇団の公演には、ひと目その艶姿を見ようと連日長蛇の列ができました。東京の下町や地方の劇場は、開演前から詰めかけた女性客の熱気で充満し、客席からは割れんばかりの歓声と紙吹雪が舞う光景が日常茶飯事となっていました。
格式高い伝統芸能である歌舞伎とは異なり、客席との距離が極めて近い大衆演劇において、客一人ひとりと目を合わせながら心を奪っていく梅沢富美男のステージングはまさに唯一無二。劇場街を飛び出し、テレビ東京などのメディアが大衆演劇の特集を組んだことで、その人気は一気に全国区へと拡大していきました。